自治会・地域の紹介 その1
西阿倉川地区
 
                西阿倉川一区自治会

 128世帯(平成30年4月1日現在)で構成しています。
地区連合自治会を通じての行政への道路等の土木要望や海蔵川堤防清掃(地区社協主催)、防災訓練(地区防災会主催)、桜まつり(海蔵川さくらまつり実行委員会主催)の早朝清掃などへの協力・参加、また町内の一斉清掃などを行っています。
 「バス通り」(市道東坂部三ツ谷線)の北側に位置し、区域のほぼ中央を市道阿倉川西富田線が南北に通って います。区域全体が、ほぼ住宅地となっています。
 区域内には開発された住宅地の調整池を兼ねた
西阿倉川連合自治会のゲートボール場があります。夏休みに行われる海蔵地区子ども会育成者連絡協議会の球技(ドッヂボール)大会に向けての子ども達の練習などにも使用されています。
また、規模は小さいですが同連合自治会の防火水槽があります。

【平成30年度役員】
会長   羽場誓司   副会長   山崎美一   会計   水谷幸治  


ゲートボール場

防火水槽

市道阿倉川西富田線
                 ※印:西阿倉川連合自治会所有
                 西阿倉川二区自治会

 320世帯(平成29年4月1日現在)で構成しています。
地区連合自治会を通じての行政への道路等の土木要望や海蔵川堤防清掃(地区社協主催)、防災訓練(地区防災会主催)、桜まつり(海蔵川桜まつり実行委員会主催)の早朝清掃などへの協力・参加、また町内の一斉清掃などを行っています。
 海蔵川左岸沿いから市道赤堀山城線両側までは農地が多く、それより北側はほぼ住宅地です。住宅区域のほぼ中央を「バス通り」が東西に通っています。
 市道赤堀山城線沿いに四日市市立海蔵保育園があります。
その他、市の楠の木公園やそれに隣接した西阿倉川連合自治会が所有する西阿倉川公民館(旧海蔵保育園施設)、また浄覚寺近くには公会所、海蔵地区防災会の西阿倉川地区を対象とした防災倉庫(bP)があります。なお、西阿倉川公民館の一部を海蔵地区福祉の家として、契約に基づき海蔵地区福祉の家運営委委員会が運営しています。
規模は小さいですが、防火水槽もあります。

【平成30年度役員】
会長   水谷重信   副会長   平野克治   会計   中山義之  
書記   白畑邦男 書記   森  進   
監査   伊藤靖治 監査   平野光男

  農地に囲まれた市立海蔵保育園  
西阿倉川公会所
(平成元年3月地区広報「かいぞう」p3)
 
西阿倉川公民館

西阿倉川楠の木公園

同公園下段の広場

海蔵地区防災倉庫1

防火水槽
          ※印:西阿倉川連合自治会所有 
                      
※西阿倉川公民館の一部は、海蔵地区福祉の家として、契約に基づき海蔵地区福祉の家運営委員会が運営しています
                 西阿倉川三区自治会

 
378世帯(平成30年4月1日現在)で構成しています。
地区連合自治会を通じての行政への道路等の土木要望や海蔵川堤防清掃(地区社協主催)、防災訓練(地区防災会主催)、
桜まつり(海蔵川桜まつり実行委員会主催)の早朝清掃などへの協力・参加、また町内の一斉清掃などを行っています。

 地域の南側を「バス通り」が東西に通り、その北側沿いからの高台を中心とする住宅地域で、西側はみゆきが丘一丁目と三重地区の小杉町、小杉新町に隣接しています。現在、万古焼事業所跡地に住宅地造成が進められています。
地域内には、住宅開発に伴って設置され、後に市に移管された公園が三か所あります。

【平成30年度役員】
 会 長    伊藤久弥    副会長   松岡泰彦   副会長    森崎雅也 
 書 記    鈴木博也  会 計  横尾篤史 会計監査   春田導明


阿倉川アサヒ児童遊園

西阿倉川公園

西阿倉川2号公園
                          西阿倉川四区自治会
 335世帯(平成30年4月1日現在)で構成しています。
地区連合自治会を通じての行政への道路等の土木要望や海蔵川堤防清掃(地区社協主催)、防災訓練(地区防災会主催)、桜まつり(海蔵川桜まつり実行委員会主催)の早朝清掃などへの協力・参加、また町内の一斉清掃などを行っています。
 海蔵川左岸から市道赤堀山城線両側までは、農地が広がっています。それより北側から「バス通り」までの間は、ほぼ住宅地となっていますが、万古焼の事業所等もあります。市道赤堀山城線沿いに自治会の花壇があります。
地域を東西に通る市道赤堀山城線に沿って流れる堀川の上流部が地域の西側にあり、三重地区の小杉町と隣接しています。
【平成30年度役員】
 会 長    堀木功雄   副会長    井田 敏          
  書 記   土岐 賢 書 記    岩島 宏  会 計   勝野信弘   顧 問   太田南海雄 


市道赤堀山城線と広がる農地

堀川は市道赤堀山城線下を通り流下

自治会花壇
                 西阿倉川五区自治会

 212世帯(平成30年4月1日現在)で構成しています。
地区連合自治会を通じての行政への道路等の土木要望や海蔵川堤防清掃(地区社協主催)、防災訓練(地区防災会主催)、桜まつり(海蔵川桜まつり実行委員会主催)の早朝清掃などへの協力・参加、また町内の一斉清掃などを行っています。
 海蔵川から市道赤堀山城線両側までは農地と事業所、住宅等が混在し、その北側から「バス通り」までは店舗等もありますがほぼ住宅地です。
地域のほぼ中央を市道赤堀山城線が東西に通り、市道阿倉川西富田線とのT字交差点があります。阿倉川西富田線は南北に通っています。
 地域内には国指定天然記念物「アイナシ自生地」があり、隣接して市の上野児童公園があります。
 また、現在は見ることができませんが、「アイナシ自生地」の東側に隣接した住宅地の開発の際、弥生時代から室町時代にかけての「上野遺跡」が発掘されました。


【平成30年度役員
 会 長   竹内政敏  副会長   岩坂竹士  書 記   山本 武    会 計    相松 豊
 監 査  中越是隆     監 査   山田 茂  監 査    伊藤一男  顧 問   伊藤吉訓 

 
国指定天然記念物アイナシ自生地

アイナシ自生地横の上野公園
 

市道赤堀山城線沿いの農地
 
史跡 弥生時代 上野遺跡
(平成2年3月地区広報「かいぞう」p1〜3)
  
                 西阿倉川連合自治会

平成17年7月19日に法人の認可を受けました。
上記の5自治会が共有する財産を、当連合自治会が所有者として所有・管理しています。

《平成30年度役員》
会長  羽場誓司   (一区自治会長)  副会長   水谷重信   (二区自治会長)  書記   竹内政敏  (五区自治会長) 
会計  堀木功雄  (四区自治会長)  監査   伊藤久弥  (三区自治会長)  監査   伊藤吉訓  (五区自治会顧問) 
  海蔵セフティネット協議会ブロック長:竹内政敏   公民館・公会所管理:堀木功雄  海蔵地区人権・同和教育推進協議会ブロック長:伊藤久弥

西阿倉川公会所
(西阿倉川二区地内)
(平成元年3月地区広報
「かいぞう」p3)

ゲートボール場
(西阿倉川二区地内)

※西阿倉川公民館
(西阿倉川二区地内)

防火水槽
(西阿倉川二区地内)

防火水槽
(西阿倉川一区地内)
                 ※西阿倉川公民館の一部は、海蔵地区福祉の家として、契約に基づき海蔵地区福祉の家運営委員会が運営しています。
              松ケ丘自治会

 135世帯(平成30年4月1日現在)で構成しています。 
地区連合自治会を通じての行政への道路等の土木要望や海蔵川堤防清掃(地区社協主催)、防災訓練(地区防災会主催)、桜まつり(海蔵川桜まつり実行委員会主催)の早朝清掃などへの協力・参加、また町内の一斉清掃などを行っています。

 
平成21年12月10日に法人の認可を受けています。
「バス通り」と「山手通り」の間で、市道阿倉川西富田線の北西方向に位置します。
元電電公社の無線局が廃止され、局舎等が撤去された跡地に職員社宅が建設されましたが、昭和40年に敷地の一部が開発分譲されて「松ケ丘団地」となり、社宅と分譲地を合わせた自治会として発足しました。
その後、社宅は順次取り壊され、平成21年には全て撤去されました。その跡地が「ウエリスパーク阿倉川」として開発分譲され、以前の「松ケ丘団地」と合わせた新たな自治会となりました。
「ウエリスパーク阿倉川」造成の際、集会所と公園が設置されました。公園内には防災倉庫も設置され、ベンチは災害時には炊飯台に利用できます。また災害時トイレのマンホールも設置されています。

 
【平成30年度役員】
 会 長   三羽克行   副会長   中村国雄    会 計   杉野由幸   書 記  西脇弘高 


集会所 

松ケ丘ウエリスパーク阿倉川の公園
 
防災倉庫

炊飯台対応ベンチ 
 
災害時トイレ用マンホール
NTT社宅後今昔
(平成23年3月地区広報「かいぞう」p6,7)

史跡 対応無線電信 海蔵受信所

現在、地域は全ての無線所施設が撤去されて住宅地に生まれ変わり、昔の面影を残すものは何一つありませんが、昭和3年から同12年まで当地には我が国最初の直接欧州と国際通信を掌る日本無線電信株式会社海蔵受信所がありました。当時、受信所局舎と付属局舎、社宅のほか地上60mの鉄塔3基、85mの鉄塔、多数の木柱が立っていて一帯は「無線所」と呼ばれて地域に親しまれていました。